ガン サバイバー親父の四方山話

発症から今日までの闘病回顧録

術後の食事(5)

手術まえの食事は普通に病院食で、毎日夕飯後院内のコンビニで何かしら買ってきて腹ごしらえをしてました、が 術後当日の食事?栄養補給は鼻から胃の手前までとうしたチューブにてこれを補給してました、src="https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/michiolife/20181220/20181220141335.png" alt="" />

  不思議な感覚でしたが胃が満たされていくのがわかり 看護師さんからもう1本いきますか?の質問に お願いします っと言った事を覚えてます。口の中の手術だからしょうがないですが普通の点滴での栄養補給に比べるとまだいい方なんでしょうね。

   傷口が塞がるのが早く二日目の夕飯からは口からの食事が出来るようにはなりましたが これです。f:id:michiolife:20181220142148p:image

ご飯、味噌汁、おかず 全てペースト状で味こそついてましたが 食感無しでした、栄養士さんの管理のもとでの食事で考えてはあるのでしょうが いやはや何とも な感じでした、メニューは焼き魚や焼肉 野菜炒めなどなどですが 風味だけで見かけは色の違いだけす。その後徐々にご飯で言うところの八部粥から五分粥へと変わっていき おかずも少しずつ原型に近づいています。

  夜食も食べれるものが限られてますが 病院食では腹が減りヨーグルトで腹を満たしてましたがそんな中で見つけたのがこれです。f:id:michiolife:20181220143512p:image

 赤ちゃんのオヤツみたいですが、非常に美味で(ちょっと塩味)入院中のマイブームでした、退院後は食べてませんが米菓子で腹持ちも良く口の中で溶けるのが一番です、最近またある事情でお世話になる事になってます、おいおい話しますが。どちらにしても 口腔系の手術をすると身体は元気でも食事の楽しみが失われるのが辛いところです。全ての人がそうではないでしょうが私は2回の口腔内手術をやってます 初回の術後はそうではなかったのですが2回目以降は極端な言い方をすれば食事=餌 状態で胃を満たす為に何かを口から入れているといってもいいような感じです、私の場合 舌の半分が痺れて味覚があまり無く 抜歯により咀嚼の悪さも原因ですが まだまだ元気でいられるよう 少しずつでも改善出来るよう 頑張っております。

手術(4)

  前日の夕食後 手術室の担当看護師さんの丁寧な説明と不安を取り除くような話しがありました、初めて会った看護師さんでしたがベテランの方で本当に安心できました。中には前日は緊張して眠れない患者さんもいらっしゃるようで睡眠薬も用意してありました。私はぐっすりと眠れましたが

  平成24年9月23日

 8時30分のからの手術という事で 早朝から看護師さんの体温、血圧等の検診後 着替えて待つだけです、家内も付き添いで早期から来て一緒にいてくれてました、何分50過ぎまで生きてきて何もかもが初めての事で不安半分、興味半分です。  10分前ほどに看護師さんのお迎えがあり手術室まで歩いて行き 待合室で手術室担当看護師さんへ引き継ぎです。

  手術室 

 数名の患者さんと待合室にて、最終の本人チェック等があり 各人それぞれの手術室に入っていきます。(この時点ではまだまだ元気でした)

  手術台に横になって いよいよ始まります、まず麻酔科医からの説明です その内点滴を入れられて知らない内に眠ってました。

  11時30分  

看護師さんの○○さん!の声で起こされ

ストレッチャーにて病室まで行きましたが、あれっ家内が居ない 義理の姉が居たので聞いたところ  退室してきた私を見て 過呼吸になり救急で搬送されたようです、今迄こんな姿を見せた事が無かったので ショックを受けたようです。今では笑い話ですが 身内の弱った姿は心が痛みます。

  f:id:michiolife:20181216105841p:image

12時頃に麻酔が切れ出したのか  痛みが酷く痛み止を入れてもらいました。(この後 この病気でもっと辛い手術を2回も受ける事なんか 夢にも思ってませんでした)

<p>  

 

 

入院(3)

2012年9月4日

午後から大学病院へ 入院手続きを済ませ 病棟へ、家内の付き添いのもと改めて主治医から病気の説明、治療予定、入院時の注意事項等の話しを聞いて病室へ向かう。 当たり前の事でしょうが極めて事務的な話方です。

  4人部屋の通路側が私のプライベート空間(ベット)です、同居人も皆様口腔内の病気で見た目は全然健常者と変わらず元気そうな方ばかりです。(一点を除けば) 

  医者も言ってましたがこの部位の病気は首から下は至って元気ですので他人が見れば 手術前の患者は何で入院しているのかわからないでしょうね、但し 手術後は首から上がかなりのダメージがありマスクを離せない人や話しが出来ず筆談する患者さんばかりになりますが。

   私も入院当日から2週間程は抗がん剤の点滴やいろんな検査や口腔ケアなどはありましたが、その他は何もやる事が無く暇でしょうがありませんでした、副作用で多少疲労感はありましたが、元気そのもので病院の敷地外まで散歩がてらタバコを吸いに行ったりの毎日でした(この頃は、タバコが原因の病気ですので禁煙するよう言われてましたがなかなか止めれず、手術の前日まで吸っていたような記憶があります)

   初めての長期入院で社会に出てからこんなに休んだ事も無く最初は旅行気分でいたのでしょうか  のんびりと過ごしてました。週末に外泊の許可をもらい自宅へ帰る前に主治医から「抗がん剤のせいで免疫力が落ちてますので移動中や人の多いところはなるべく避けてマスクをするように」と 言われた時にどうゆう事かピンと来ませんでしたが、「風邪や病気が普通の人よりも数倍移り安く もしそうなったら予定通りの手術ができなくなる」との説明で あっ病人だったんだと気づかされましたね。(入院生活が5日になって主治医や看護師さんともかなりざっくばらんに話しが出来る関係が出来てきてます)

  次の週末も外泊の許可をもらいましたが私の地域は台風16号の影響で自宅に缶詰め状態でしたが、やっぱり自宅が一番落ち着くし安心です。

   毎日毎日いろいろな検査や術前の準備等を過ごして3週間が経ち 9月25日いよいよ明日手術です。最終の説明を家内同伴で聞き翌日8:30から手術になりました。(今迄は早く手術して退院したいとの思いが強かったのですが、ここに来て急に緊張感が出てきました)  ここまでの食事は普通食(病院食ですのでそれなり)で晩酌ができないのは残念でしたがまー何とか贅沢言わなければ ありがたく頂いてました。f:id:michiolife:20181214145126p:image

 

早期発見(2)

それは、ほんの小さな一個の口内炎でした。

気にしなければ気にならない位の小さな炎症でその内治るだろう っと呑気に構えてましたが10日程経っても変わらず ではとりあえずという事で かかりつけの歯医者さんに診察に行きましたが軟膏薬を塗っての経過観察で1週間後の再診察 結果 症状変わらず  市民病院への紹介状 前と同じ軟膏塗っての経過観察  結果 症状変わらず 大学病院への紹介状  初見にて悪い病気かも?の一言 もともとこの病院は地元では難病患者が最終的に行く病院との評判で薄々感じてはいましたが。

  病理検査をするということで炎症部分の周りを削られましたが何分口の中で出血が止まらず痛い思いをした事を覚えてます。

 数日後病理検査の結果を聞きに行き やはり悪い病気で病名は 口腔底ガン でした 意外とあっさりの告知でショックを味合う間もありませんでした。その後治療方法や入院や手術の日程を話し合いましたが決定事項の通達という感じでした。

  入院までに数日あったのでその間に会社関係各所に暫く休む事を伝え 引継ぎも終わらせ入院準備に取り掛かりました。幸いにもこの病気は緊急性のある病気ではない為その辺の時間的な余裕はありましたか  その分不安も増幅しますね、私は家族に心配かけないように気丈に振る舞っていたのか 不安は見せてませんでしたが今考えると 内心では恐怖でいっぱいだったと思います。

  入院当日は子供達は平凡な朝を迎え何事も無く いってらっしゃい と送り出してくれましたが、後に聞いてみるとやはり私と同じで余計な心配をさせない様 あえて普通にしてたようでした。

  病院では家内の付き添いのもと改めて主治医による病気の説明と手術の説明があり私の闘病生活が始まりました。f:id:michiolife:20181212211648p:image

初めまして。癌サバイバーです。(1)

きっかけは あるイベントでの心理学を生業としている人との会話からでした。

 

 数年前に発症したガン から数年後に再発したガンを経験し その過程を話していくうちに

私が発した一言に 何故そのように感じたのか詳しく話しして欲しい、何がきっかけで今の気持ちになったのか 非常に興味があるし 今までに聞いた事の無いような気持ちの変化を発表して欲しいとの話しでした、自分の中では何も変わった事をやってたつもりはありませんでしたし 発表する術もありません きっかけが何処にあったのかもわかりませんので その時は何も返事できませんでした。 ただその時に言われたのがブログで発信したらいいし是非そうして欲しいとの事でした。f:id:michiolife:20181212133902p:image

  ただ言えるのは、1回目 2回目の闘病は全ての事が不安で 病院の(主治医の)言われるままにしていましたが、3回目の入院の時は自分自信を客観的に見ながら周りも良く見え その時に色々と感じた事で気持ちが凄く楽になった事は覚えてます。 

  その楽になったきっかけを平成24年に遡ってもう一度記憶とメモを頼りに綴っていきたいと思います、最初の方は不安な話しばかりでしょうが 読んでいただいて共感して 改善できる方法が少しでも見つかれば幸いです。 

 尚 現在は定期的な検査でも転移はありませんが、QOLの低下で厳しい食生活を送ってます。これについても書いていきます。